第五章 日野富子(家守)


文明十五年八月十四日
(一四八三年九月十五日)
義政主催の茶会が催された日に

足利義政
永享八年生まれ、四十八歳

日野富子(ひの・とみこ)
永享十二年生まれ、四十四歳
義政の正室。義尚の母。足利家と縁戚関係を持っていた日野家の出身で、義政の母重子は富子の大叔母にあたる。この会談の前に、義政は東山山荘に、義尚は伊勢貞宗邸に移り、富子は大きな責任や多忙な生活から解放され、静かな時間をすごすようになっていた。


(本文から)

義政  うん。その上で、義尚には、自分のことを考えない将軍になってほしい。
富子  それはどうでしょうか。自分のことを考えないでいれば、すべてが疎かになります。そんな将軍がいいわけはございません。
義政  いや、いいのだ。
富子  どう、いいのでしょう。
義政  周りの者のことを考え、遠くにいる者のことも考える。百姓のことを考え、商人のことも考える。できるだけ多くの者のためを考え、同時に少数の者を忘れない。いつも政のことを考え、戦をなくす。山や川のことを考え、災害をなくす。田や畑のことを考え、飢えをなくす。水や薬のことを考え、疫病をなくす。そんな将軍がいい。

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義政 ははは。それにしても、今まで、よく頑張ってこられた。
富子 なにをおっしゃるのですか。
義政 日野家の娘に生まれ、兄に嫁ぐはずが兄が死に、私が将軍になったがために私に嫁ぎ、将軍職を義視に譲ろうとした途端に義尚が生まれ、住まいは焼け、生命の危険にさらされ、大変な毎日を送らねばならなかった。それなのに、御台所としての務めを真面目に果たされた。
富子 なんですか。そんなことを言われますと、落ち着かない気持ちになります。
義政 私のような者に嫁いだがために、いらぬ苦労をさせてしまったな。
富子 そんなことはありません。十分楽しませていただきました。それに。
義政 それに。
富子 それに、大御所様にはじめてお会いした時から、ずっと幸せでした。


 

 

 



義政

貞宗

信光

横川

珠光

富子

立阿弥

義視

小四郎

政弘